八王子通り大山道の旧道を辿ってみる

(追記:この日通った道は一般的には「御殿峠旧道」の呼び方が通りが良いようです。江戸時代以前からの鎌倉街道であり、江戸時代後期は大山道としての役割も持っていた、ということのようです。)

 

数か月前から大山道の道標に興味を持ち始めてロードバイクで現地を訪れるのにハマっています。

大山道はいろんなところから大山に向かって伸びる街道の総称で、その中のひとつが八王子から延びる八王子通り大山道です。

この八王子通り大山道は八王子や橋本付近は市街地の中を通るので今では旧道が残っていない区間も多いのですが、JR横浜線相原駅付近には山の中を通る旧道が残っているとのことで訪れてみました。

地図だとこの辺。御殿峠から西に東京造形大学、東に八王子バイパスとR16に挟まれた区間JR横浜線相原駅近くの住宅街まで伸びる区間です。

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今回は相原町側から入ってみます。

ストビューだと入口はこんな感じ。森林公園の入り口っぽくて、整備されてそうな雰囲気です。

実際の写真もこんな感じ。公園として見ても雰囲気は悪くなさそうに見えますが…。

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入ってすぐ分岐が現れました。ちなみに左方向に向かうとNTTの中継局とアーチェリー場のそばを通ってまた住宅街に抜けます。方向的には右の分岐が大山道。

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かろうじて踏み跡は分かる感じです。低木が生い茂っていますが、季節的にはなんとか引っ掛からずに歩ける程度。夏場はちょっといやかな。

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この地理院地図の真ん中を南北に延びる道が上の写真のような道です。結構まっすぐなように見えますが実際こんなまっすぐではなく結構東西に蛇行していました。

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途中三叉路っぽいところがあって、最初東の方に行ったら原チャで入り込んだおっちゃんがポータブルコンロでお湯を沸かしてリラックスしているところに出くわす。

その先道なき道を進んでバイパスの側道に出れるようなことを言っていましたが、踏み跡が見えなくなってしまったのであきらめて引き返し。

三叉路に戻って西方向に進むとこんな感じの道になりました。

明らかに人の手が入っていますね。春には花が咲きそうです。

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やがてブロック塀のすぐ脇の道を北上し、一般道に出て資材置き場の横を通り過ぎるとまた山道に入りました。

こんどはさっきの狭い山道とは一変、かなり幅の広い明らかな旧道になります。

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もうすこし先に進むと突然道が消失しました。この先は切通になっています。

新しい切通で道が分断された感じですね。

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近くに新道に下りる道を探してみましたが、上の写真の右側に下に下りる道を発見しました。

下りた先がこんな感じです。ロープが下ろされていたので、ロードバイクを担ぎながらでもなんとか下りれました。

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ストビューの方が道が分かりやすいですね。八王子日本閣の裏手の道に出ます。

切通になっているので、新道を通した際に大山道旧道は分断されてしまったようです。

帰宅後、今昔マップ等で旧道の道筋を調べてみました。

左は明治39年の2万分の1、右は地理院地図です。

旧道の位置はちゃんと描かれていますが、八王子日本閣裏手の道は明治39年の時点で存在しますね。この時点で旧道は分断されていたのか。

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さらに「明治迅速測図」というレイヤがあるのを見つけて比較してみました。右は明治13年作成だそうです。御殿峠を通る道はまだ開通しておらず、大山道だけがある時代ですね。20年かそこらの違いなのに全然同じ区域の地図に見えない。

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さらに1960年代の航空写真と比較してみました。あの山道はかつては耕地の間を通る道だったのですね。

それにしては相原町側の狭い山道と、御殿峠近くの広い道の違いがどうやって生まれたんでしょうね。

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(追記:相原町側の狭い山道は旧道の後から出来た新道らしく、掘割状の幅の広い旧道は藪化しているもののすぐそばに延びているそうです。)